大判例

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東京高等裁判所 昭和45年(ネ)375号 判決

〔主文〕本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

〔事実〕控訴代理人は「原判決を取消す。被控訴人の請求を棄却する。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴代理人は控訴棄却を申立てた。

当事者双方の事実上の陳述及び証拠の関係は、左記のほか原判決事実摘示のとおりであるからこれを引用する。

一、控訴人の陳述補足

1 勝正は、昭和一八年頃長女幸子が結婚するに際し、初めて妻ミナの死亡を知つたのであるが、その証明を得ることが出来なかつたので、届出をしないままであつた。

2 勝正は年老いるに従い、子供も成長したので、控訴人との関係を放置すべきでないと考え、自ら東京家庭裁判所に赴いて相談の結果、失踪宣告の審判を得て、右ミナの戸籍を抹消する方法を知つてこれが申立をし、昭和三六年頃右審判が確定したので、直ちに控訴人を入籍すべく準備を始めたのであるが、控訴人の入籍と同控訴人との間の四人の子との関係を考慮しているうち一年余が過ぎた。

3 勝正は老年になつて目を悪くしたせいもあつて久しく書き物をせず、殊に半身不随になつてからは自署すらできなかつたので、生活上必要な書類はすべて控訴人が代筆するのを常としたが、実印は肌身離さず持つており、自ら押捺していた。なお、勝正の父春造は姓名判断により春信と改名しこれを用いていたので、勝正は本件婚姻届書の作成にあたり控訴人に春信と口述したものである。

二、被控訴人の陳述補足

1 控訴人主張の右1記載の事実のうち、勝正がミナの死亡を知つた経緯は知らないが、その余は認める。

右2記載の事実のうち控訴人主張のころ失踪宣告の審判が確定したことは認めるが、勝正が右審判を求めたのは控訴人を入籍するためではない。勝正には当時他に結婚を考えていた女性がいた。

右3記載の事実のうち、勝正が書き物をしなかつたこと、自署も不可能になつたこと、生活上必要な書類のすべてを控訴人が代筆したこと及び勝正の父が控訴人主張のように改名したことはいずれも否認する、その余は知らない。

2 控訴人が再び勝正の許に戻つたのは、その頃二郎が婚姻し、控訴人が居住していたアパートに住むことになつたので、控訴人は住む所に困つた結果、勝正に同居方を懇願したことによるものである。

三、証拠<略>

〔理由〕一、公文書であるのでいずれも真正に成立したものと認める<証拠略>によると、戸籍簿上池内勝正と控訴人が昭和三八年一月二九日東京都台東区長に対する届出により婚姻した旨の記載があること、右勝正は昭和三八年四月二八日死亡したこと及び被控訴人は勝正の子(三女)であることが認められる。

二、そこで勝正が控訴人と婚姻する意思を有していたかどうかについて判断する。

1 <証拠略>並びに弁論の全趣旨を合せ考えると、次のとおり認められる。

(一) 控訴人は昭和二、三年頃勝正と情交関係を生じ、爾来同棲を続けその間勝正との間に隆治(昭和四年六月二三日生)、二郎(昭和七年一〇月一五日生)、愛之助(昭和一二年一二月一一日生)及び清子(昭和一四年四月二八日生)をもうけたが、これらの子供等は戸籍上いずれも勝正とその妻ミナとの間の嫡出子として届出られている(なお、二郎と愛之助は昭和一三年七月五日同時に届出がなされている)。

(二) 一方勝正はその妻ミナとの間に昭和六年一〇月一〇日祐一をもうけたが、昭和七年六月頃ミナと協議のうえ離婚し、その頃別居するに至つた。しかし、右離婚の届出はなされず、またミナは昭和一二年七月一六日死亡したが、勝正はこれを知らなかつたため、その届出もまたなされなかつた。

(三) 控訴人は昭和二八年頃、勝正の乱暴な行為や同居中の祐一の非行及び被控訴人との反目不和に耐えられないとして、勝正を相手方として東京家庭裁判所に離別等の調停を申立て、同年四月一八日控訴人と勝正との間の内縁関係を解消し、控訴人は同年五月五日限り勝正方から退去すること及び子供の養育監護に関することを骨子とする調停が成立した。しかし、控訴人において約旨のとおり退去しなかつたところから、勝正は同年九月頃から昭和三三年五月にかけて前後五回にわたり右調停調書に基づき控訴人に対し強制執行の申立てをしたが、その都度これを中止した。その間控訴人は勝正方に引続き居住していたが、勝正や被控訴人とは別個の生活をしていた。

(四) その後、昭和三四年暮頃控訴人は二郎、清子等と共に勝正方から退去し(その結果勝正は昭和三五年一月一一日右強制執行の申立を取下げた)、中野区内のアパートに居住していたが、昭和三六年初頃控訴人は清子と共に再び勝正方に戻り、以来勝正が死亡するまで同居していた。なお、被控訴人は昭和三五年頃結婚し勝正の許を去つている。

(五) 控訴人はかねてからその先夫佐伯光夫と事実上離別していたが、離婚の届出は昭和二七年八月二一日になつてようやくなされた。

一方勝正は控訴人と共に昭和三五年九月二二日東京家庭裁判所に赴き、前記のとおり死亡の届出のなされていない妻ミナの戸籍を抹消するため、同女が昭和一八年五月頃から行方不明であるとして失踪宣告の申立をし、昭和三六年六月二九日同裁判所においてミナを失踪者とする旨の審判がなされ、同年七月一三日これが確定し、同年一二月一一日その届出がなされた。(しかし、右失踪宣告は前記(二)のとおり事実に反するものであつたため、その後被控訴人からこれが取消の申立がなされ、昭和四〇年七月二五日右を取消す旨の審判が確定し、同年八月二五日戸籍簿の失踪の記載は消除された。)。

(六) 勝正は昭和三八年四月一五日卒中の発作を起し、爾来次第に意識混濁等の度を加え、同年四月二八日死亡したのであるが、その数年前から高血圧症等のため手足の不自由を訴えてはいたものの、同年一月当時においてもなお、そのため起居等に支障を来すことはなかつた。

かように認められ、前記証人清子、同二郎の各証言及び控訴人本人尋問の結果のうち右認定に反する部分は措信せず、他にこれに反する証拠はない。

右認定の(一)、(二)の事実によると、勝正と控訴人との関係は、その当初において勝正と同人の妻ミナとの婚姻関係の外にある不倫な関係であつたというべきである。そうして右認定の(二)、(五)の事実によつて明らかな、勝正及び控訴人がそれぞれ離別した前妻及び先夫との関係を然るべき届出をすることによつて解消することをせず、長年にわたりこれを放置した事蹟に徴するときは、勝正及び控訴人は各自の前婚を事実上解消した後においても、引続き右の不倫な関係を継続していたものと認めるほかない。しかも、右認定の(三)の事実によれば、勝正と控訴人との右の関係は、前記調停の成立を期に一応解消されたものと認めるのを相当とする。

ところで、右(三)の事実及び右認定の(四)の事実によれば、控訴人は右調停成立後も勝正と同居し、また一旦同人の許を退去しながら、昭和三六年中には再び同人の許に戻つていることが明らかである。その間の事情につき控訴人は、勝正の懇請により戻つたのであつて、その際同人に入籍の約束をさせた旨主張し、前示証人清子、同二郎の各証言及び控訴人本人尋問の結果<略>のうちにはこれに副うものがある。しかも右(五)認定の失踪宣告申立の事実は、これを主として提唱したのが勝正であつたか控訴人であつたかは別として、勝正と控訴人が婚姻の届出をなすことの前提としてなされたものと認めるべきであるから、一応右証言等を補強するものというべきである。しかし、右認定の事実からも明らかなとおり、本件婚姻の届出がなされたのは失踪宣告の審判確定の日からは約一年半の後であり、失踪宣告の届出の日から(因みに戸籍法九四条、六三条によれば、失踪宣告を申立てた者は審判確定の日から一〇日内に届出をなすべきものである)でも一年余を経ているのであるが、その理由は本件に顕れたすべての証拠によるも未だ明らかではない(前記認定の各事実から勝正は戸籍等の届出についてかなりルーズであつたことがうかがわれるが、そのことだけが右の理由であるとは到底考えられない。)。このように考えると、控訴人が昭和三六年中に再び勝正の許に戻るに至つた事情は、右各証拠の存在にかかわらず、なお定かでないものというほかない。従つて、右以後における勝正と控訴人の関係は、それ以前におけるそれと特段の変容を遂げたものと認めることはできない。

以上の次第であつてみれば、勝正と控訴人との関係は長年月にわたつており、外形的には通常の夫婦と変りがないようではあるけれども、これを目して事実上の婚姻関係というには未だ十分ではないというべきである。

2 (一) 前示控訴人本人尋問の結果<略>によると、本件婚姻届書である甲第七号証の二は、昭和三八年一月初頃その全文<略>を控訴人において記載したことが明らかである。

(二) ところで右甲第七号証の二によると、勝正の父の名はもと「池内春信」と記載されていたところ「亡池内春造」と訂正されていることが認められる。そうして、当審における控訴人本人尋問の結果により右春造の墓碑の写真であると認める乙第五号証に、当審における控訴人及び被控訴人の各本人尋問の結果によると、右春造は「春信」とも称していたことが認められ、これに反する証拠はない。

(三) 右甲第七号証の二によると、控訴人の父の名が「正利」と訂正されている。ところで、右甲第七号証の二と公文書であるので真正に成立したと認める乙第六号証によると、控訴人の父は「清川政利」であるところ、本件婚姻届書に添付された控訴人の戸籍謄本において誤つて「清川正利」と記載されているため、右の訂正がなされたことが明らかであるが、しかし、その訂正前の文字はたやすく「政利」と判読することができない。

(四) 右甲第七号証の二によると、勝正の母の名が全部変態仮名に改められ、控訴人の婚姻関係が「①初婚」から「②再婚」と訂正されている。

(五) さらに右甲第七号証の二によると、本件届書には証人として前記池内二郎及び池内清子の署名(それが控訴人の記載にかかることは(一)認定のとおりである)捺印があるが、前示証人清子及び同二郎の各証言のうちには、証人清子は、右届書作成の際二郎も居合わせたとするに対し、証人二郎はこれを否定するというくいちがいがあり、また右届書の届出人池内勝正名下の捺印についても、右控訴人本人尋問の結果によれば、勝正がその実印を以て自らこれをなしたとするに対して、右証人清子の証言はこの点につき確たるものではないという差異がある。右認定の各事実によると、本件婚姻届書はその記載内容においてもその作成の経緯においても、多くの疑点を残すものといわなければならない。殊に、右(二)及び(四)認定の如き誤りは、右届書作成の際勝正がこれを一覧すればたやすく発見できた筈のものというべきであるから(しかも右1(六)認定の事実よりすれば、当時これを不可能とする事情は存しなかつたと認められる)、右の事実は右届書の作成が勝正の意思に基づくものではないとの疑念を生ぜしめるうえに、右(三)及び(四)認定の如き控訴人について存する誤りも、通常は考えられないところであるから、右によれば右届書は倉卒の間に作成されたとの感を禁じ得ない。従つて、結局本件婚姻届書が勝正の意思に基づいて作成されたこともまた認め難いところというべきである。

3 以上認定説示したとおりであるから、本件婚姻の届出当時勝正が控訴人と婚姻する意思を有していたことは遂に認め難いものというほかなく、他にこれを認めるに足る証拠もない。

三、従つて、本件届出による勝正と控訴人との婚姻は無効というべきところ、被控訴人は前記一認定のとおり勝正の相続人であるから、これが無効確認を求めるにつき正当な利益を有するものである。

してみれば被控訴人の請求を認容した原判決は相当であつて本件控訴は理由がないからこれを棄却し、なお控訴費用は民訴法九五条、八九条により敗訴の控訴人の負担として、主文のとおり判決する

(岡松行雄 田中良二 川上泉)

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